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浦和地方裁判所 昭和60年(わ)612号 判決 1989年5月17日

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実及び争点の概要

一  公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、昭和六〇年五月一三日午後二時二〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、埼玉県志木市上宗岡四丁目一三番一二号先の交通整理の行われている交差点を朝霞市方面から富士見市水子方面に向かい左折するに当たり、対面信号機の赤色燈火信号に従って同交差点手前の停止線付近で一旦停止した後、青色燈火信号に従い発進して左折しようとしたのであるが、同所は、車道の左側に幅員約四メートルの歩道があり、自車の左側方の車道または同歩道を走行してきて、自車の左折方向出口側に設けられた横断歩道を横断しようとして同交差点に進入してくる自転車等のあることが予想されたから、かかる場合、自動車運転手としては、左折の合図をするはもちろんのこと、自車が信号待ちのため停止中、自車の左側方の車道及び歩道を進行してくる自転車等を捕捉し、自車が発進した後においても、自車の左側方の車道及び歩道を並進したり、左後方から進行してくる自転車等の有無及びその安全を確認しつつ左折すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、左折の合図はしたが、左サイドミラーで後方を一瞥したのみで、左側方の自転車等の有無及びその安全を十分確認することなく、漫然時速約五キロメートルで左折進行した過失により、折からA(当時八年)が自転車を運転し自車の左側方を走行してきて同横断歩道上を左方から右方に向かい横断しているのに全く気付かないまま、自車左前部をA運転の自転車に衝突させて、同人を同自転車もろとも路上に転倒させ、よって同人に頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、同日午後五時二五分、同県志木市上宗岡五丁目一四番五〇号志木市立救急市民病院において、同人を、右傷害により死亡するに至らせたものである。」というものである。

二  争点の概要

ところで、当公判廷で取り調べた証拠によると、被告人が、大型貨物自動車(以下、「被告人車両」という。)を運転し、控訴事実記載の日時に同記載の交差点を同記載の方法で左折進行した事実、及び当時八歳のA(以下、「被害者」という。)が、自転車(以下、「被害車両」という。)に乗って、右日時に右交差点に進入し、被告人車両と衝突した結果、同記載の傷害を負い死亡するに至った事実が明らかであり、被告人車両が何らかの意味で被害者の死に関わったこと自体は争いがない。しかし、弁護人は、「被害者がどのような進路をたどって被告人車両と衝突したのかは不明であり、また、被告人車両の「左前部」が被害車両に衝突したことを認めさせる証拠はない。被告人としては、法律上要求される業務上の注意義務を尽くして運転していたのであって、被告人に過失はない。」と主張し、被告人も、捜査段階以来、「左折に当たり左側方の安全を再三確認したが、被害者には気付かなかった。後方から聞こえた異常な音に驚いて車を停め、下車してみて初めて衝突を知った。」旨述べている。以上のとおり、本件においては、公訴事実記載の日時場所において、被告人車両と被害車両が衝突し、その結果被害者が死亡したことは明らかであるが、両車の衝突が被告人の過失により惹起されたと認め得るかどうかが激しく争われており、その前提として、両車両の衝突位置(交差点のどこで衝突したか)、部位(被告人車両のどの部分と、被害車両のどの部分が衝突したか)、態様(どのような形で衝突したか)など、衝突事故に関する具体的事実関係自体が争われているわけである。

第二  基本的事実関係

以下の各事実は、関係証拠上極めて明らかなところであって、これらの点については、検察官及び弁護人とも、これを争っていない。

一  本件事故現場である交差点の地理的状況

本件事故現場(埼玉県志木市上宗岡四丁目一三番一二号先。以下、同県の表示は省略する。)は、志木市の最北部に位置し、朝霞市方面から富士見市下南畑方面に向かってほぼ北西方向に走る市道(幅員約七・〇メートル。以下、「本件市道」という。)と、荒川に架かる羽根倉橋から富士見市水子方面に向かってほぼ南西方向に走る県道宗岡与野線(幅員約六・三メートル。以下、「本件県道」という。)とが、約七〇度の鋭角で交わる交差点(アスファルト舗装)であって、交差点の各出口には横断歩道が白線で表示されていた(もっとも、富士見市水子方面の横断歩道を示す白色塗料は、かなり剥げていた。)。交差点においては、各四方向(すなわち、南東は朝霞市方面、北西は富士見市下南畑方面、北東は荒川方面、南西は富士見市水子方面)に向けて設置された三色信号機と、富士見市水子方面出口の横断歩道に設置された歩行者用信号機により交通整理が実施され、富士見市下南畑方面へは、大型貨物自動車、大型特殊自動車進入禁止の規制がなされていた。市道両側、及び県道の富士見市水子方面南西側には縁石で車道と区分された歩道があり、県道の富士見市水子方面北東側には白線で路側帯が設けられていた。また本件交差点南側(朝霞市方面に至る市道と富士見市水子方面に至る県道にはさまれた部分)及び東側(朝霞市方面に至る市道と荒川方面に至る県道ではさまれた部分)には、いずれもブロック塀で囲われた人家があり、朝霞市方面側の市道から県道への見通し状況は、左右ともに極めて悪かった。ところで、市道の朝霞市方面南西側の歩道は、おおむね幅員約三メートルであるが、本件交差点南角に近い部分で前記ブロック塀が南西方向にへこんでいるため、交差点の手前約一五メートルの地点から幅員が最大約六メートルに膨らむかたちとなっていた。右歩道の横断歩道との接続部分は、縁石の切れた地点からブロック塀の角まで東西方向に約六メートルの緩い弧を描いて角切りになっており、段差はないが、右縁石の切れた地点及びブロック塀から約五〇センチメートルの地点にそれぞれ信号柱及び電柱があり、その間に直径約一〇センチメートル、高さ約八〇センチメートルの金属製の白色円柱が三本設置されていた。更に、ブロック塀の角から富士見市水子方面の約一・五メートル先に照明柱及び信号柱が立っていた。また、朝霞市方面から本件交差点に至る市道上には、同交差点入口横断歩道の手前約一四メートルの地点に、白色停止線が引かれていた。なお、事故当時、降雨はなく、路面は乾燥しており、本件交差点の交通量は特に多くも少なくもなかった。

二  被告人の事故当日の行動等

被告人は、昭和四九年に大型自動車運転免許を取得し、その後約二年間、運転手として勤めたのち、昭和五五年から朝霞市上内間木所在の○○建材に勤め、自動車運転手として採石を運搬する仕事に従事していた。ところで被告人は、昭和六〇年五月一三日午前五時四〇分ころ、本件大型貨物自動車を運転して坂戸市の自宅を出発し、砂利の運搬作業に従事したが、午後二時頃、朝霞市上内間木で積荷をすべて降ろしたあと、自宅に戻るべく、北上して志木市に入り、本件市道を朝霞市方面から富士見市下南畑方面に向かい、午後二時二〇分頃、本件交差点に至った。なお、被告人は、右交差点を左折後本件県道を富士見市水子方面に進み、更に川越志木線を通って自宅に戻る予定であった。

三  被害者の事故当日の行動

他方、本件事故により死亡した被害者は、当時志木市立宗岡第二小学校三年生であり、本件事故当日は、午後二時一〇分頃学校から一旦帰宅し、荷物を置いて友人のB宅に自転車で向かう途中、本件事故に遭ったものである。被害者の自宅(志木市<住所省略>)は、本件交差点を基点にすると、本件市道を朝霞市方面に約八〇〇メートル進行した地点から西方向に路地を入った地点にあり、一方、前記B宅(同市<住所省略>)は、本件交差点を基点にすると、本件市道を富士見市下南畑方面に進行した方向にある。従って、被害者が自宅からB宅に向かう途中本件交差点に至る経路としては、<1>まず路地を東方向に進み、本件市道に出てから、交差点へ向けて市道を直進するコースと、<2>最初に路地を西方向に進み、本件市道とほぼ平行に走る裏通りを北西方向に向かい、本件県道の富士見市水子寄りに出てから右折して本件交差点に至るコースの二通りが考えられ、被害者の母親等は、右<1>が通学路と指定されている上に自転車通行可の歩道が設けられていることなどを理由に、<1>のコースを通ったと思うと供述しているが、被害者のような児童の場合、大人の想像もできない行動をとることはままあり、被害者がいずれのコースを通って、本件交差点に至ったか、そして被害者がいかなる位置から、いかなる向き、速度で本件交差点に進入したかについては、これを確定するに足りる証拠が存在しない。

四  被告人車両の構造等

被告人が、本件衝突事故当時運転していた車両は、自家用大型貨物自動車(昭和五四いすゞダンプSSZ四五〇D、登録番号大宮(○○て××)で、車長は七・七七メートル、車幅は二・四六メートル、車高は三・四六メートル、重量は九六二〇キログラム、最大積載量は一〇二五〇キログラム、後輪はダブルタイヤであって、後輪のうち前のもの(以下、「後前輪」という。)を基準としたホイールベースは、三・一五メートル、後輪のうち後ろのもの(以下「後後輪」という。)を基準としたホイールベースは四・四五メートルであった。なお、右車両は、被告人が、○○建材に勤務した当初借りて使用していたものを、昭和五八年二月に買い取ったものであるが、自動車検査証上の所有者は、関東いすゞ自動車株式会社のままであった。

ちなみに、被告人車両の左前方から左後方にかけては、かなり広範な死角の存することが明らかである。すなわち、被告人車両左側面最前部には、上から順にアンダーミラー、サイドミラー、サイド補助ミラーが設置されているが、被告人が車両右側の運転席に座った場合の目の位置(進行方向前面から一・二メートル、左側面から一・八メートル、地面から二・四メートルの地点)を基準にすると、右各種ミラー及び肉眼を併せても、車両左前角から前方へ約〇・九メートル、左方へ約二・八メートルの地点を始点、車両左前角から前方約〇・九メートルの地点を屈曲点として、幅〇・六メートルにわたり、おおむね「て」の字(後方に行くに従い範囲が広がる)を形づくるような部分を視認することが物理的に不可能であり、右部分が完全な死角となるものである。

五  被害車両の構造等

他方、事故当時被害者が運転していた自転車は、被害者が、本件事故の四年前に買ってもらった、五段ギヤ付き子供用スポーツ自転車(Ether二〇インチ)で、その車長は約一・四メートル、車幅は約〇・三六メートル、車高は約〇・七メートル、重量は約一五・八キログラムであった。

六  本件衝突事故の発生経過

被告人は、前記のとおり、本件事故当日午後二時二〇分頃、市道を時速約四〇キロメートルで進行して交差点に至ったが、朝霞市方面にある停止線の約二、三〇メートル手前で対面信号の赤色に気付き、停止線の直前で停止した。当時被告人車両の前方に先行車はなく、約二〇秒後、対面信号が青に変わるとともに、被告人は、自車を発進させて時速を約五キロメートルに保ちながら、約一五メートル直進し、本件交差点に入る直前(本件交差点朝霞市方面出口北西端)でハンドルを大きく左に切り左折を開始したが、左折が未だ完了しない、本件交差点の富士見市水子方面出口の横断歩道の南西端を約三メートル過ぎたところで、自車の左後輪付近でガチャガチャという音が聞こえたため、すぐにブレーキをかけて車を停め、運転席から降りて自車後部を確認したところ、路上に倒れている被害者及び被害車両を発見した(なお、被害者及び同車両が転倒していた位置については、後述のとおり争いがある。)。被告人は、停止線から発進する際や左折の途中で、死角が発生する左後方等を肉眼とミラーで何度か確認した(確認の程度とそれが注意義務を尽くしたことになるかどうかについては争いがある。)が、左折中、被害者はおろか他の歩行者ないし自転車等には全く気付かなかった。

七  事故発生後の被告人の行動

事故に気付いた被告人は、交通妨害にならないように自車を前方のバス停に移動した上で、一一九番及び一一〇番の各通報をし、勤め先のC社長(以下、「C」という。)にも電話連絡をした。そして、間もなく到着した救急車により被害者が病院に搬送されたあと、C及び警察官が順次現場に到着し、被告人は、右Cの付き添いを受けつつ警察官から事情聴取を受けることとなった。

八  被害者の受傷及び死亡

被害者は志木市立救急市民病院に搬送され、陸川容亮医師の応急措置を受けたが、搬送当時から意識はなく、頭頂部から左側頭部にかけて縦横六ないし九センチメートルの陥没骨折を負っており、この陥没骨折を引き起こした外力が介達されて、頭蓋底骨折を惹起していたため、これが致命傷となって、事故から約三時間を経過した右当日午後五時二五分、同病院で死亡した。

なお、被害者の身体には、右の致命傷以外に、左鎖骨骨折、胸部及び腹部に長さ一ないし三センチメートルの創傷が三か所、左大腿部内側に長さ五・五センチメートルの切傷、右大腿部前面に長さ三・五センチメートルの挫創、左右下腿部前面に長さ一ないし二・一センチメートルの擦過傷がそれぞれ二ケ所ずつあるほか、左大腿部の外側の、半ズボンの下端と見られる部分から膝付近にかけて、かなり広い部分にわたり擦過傷が認められるが、同人の身体の損傷が以上の限度に止まる点からみて、同人が被告人車両によって轢過されたものでないことは、明らかなところである。

九  被害車両の損傷状況

被害車両は、後部荷台、後輪及び縦パイプ等が、くの字に変形している。前輪はフォークから外れているが、ほとんど損傷を受けていない。後輪は前記変形以外に、車輪の後下部に相当する部分のリムが平らになるように変形し、その部分のタイヤ表面の模様がなくなる程の擦り減りをみせている。一方、前輪フォークは逆向きになるように変形しており、変形後右側にある前輪ブレーキリンクの先端、ブレーキケーブル支持部に、アスファルト及び白ペンキようのものが、前輪泥除け部分には、点在的に塗料よう赤色物質が、それぞれ付着している。また、左側ペダルクランクの付け根にもアスファルトが付着している。更に、足踏クランクのスプロケットの下部後方付近が、局所的に擦過痕をともなって変形し、その部分のチェーンが折れている。

一〇  目撃者について

本件事故当時、他の通行車両があったにもかかわらず、目撃者として名乗り出ているのは、わずかにD(当時六七歳。以下、「D」という。)一人だけである。

Dは、本件交差点の東角(朝霞市方面に至る市道と荒川方面に至る県道にはさまれた角地)に位置する住居(志木市<住所省略>)に居住し、事故当時は、右自宅西側の茶の間で知人と話をしており、本件交差点に面したガラス窓を開け、外に顔を向けて座っていた。Dは、目撃状況に関して、大要、「何かキキーあるいはガシャンという音がしたので、ハッとして交差点を見ると、大型ダンプが、丁度、斜めになった状態で、ダンプの左側と交差点南角付近の電柱(信号柱)との間が空間になって見え、その時ダンプの後輪の辺りで自転車が浮き上がるのが見え、自転車のタイヤが一つ取れて塀の方に転がっていった。そのあとすぐにダンプが止まり運転手が降りてきて、子供を抱え上げてまた降ろした。」と供述している。

一一  略語等<省略>

第三  実質的な争点の所在及び証拠関係の概要

一  実質的な争点の所在

前記のとおり、本件は、大型貨物自動車を運転して本件交差点に差しかかり、同交差点手前の停止線で対面の赤色信号に従い約二〇秒間停止した被告人が、信号が青色に変るとともに自車を発進させ、本件交差点に入ったのち、大きく左転把して左折進行中、出口横断歩道付近において、被害車両との衝突を惹起し、右衝突の結果同車を運転中の被害者を死亡させたという事案であるが、検察官が右事故の原因として主張する被告人の過失は、「停止線直前での停止中及び同所を発進後、左側方及び左後方の安全を十分確認しなかった」という点(以下、「左後方確認義務違反の過失」という。)である。ところで、被告人車両の左方には、前記のとおり大きな死角があり、衝突直前の時点においては、被告人が被害車両を発見・捕捉することは、少なくとも著しく困難であったことが明らかであるが、検察官は、いずれにしても、右のような死角の大きい大型車を運転中であった被告人には、停止線での停止中及び発進後に、左後方に対する安全確認に万全の意を用い、左後方からの進行車両を死角に入る前に捕捉する等の注意義務があったとし、被害車両の存在に全く気付かないまま、左折進行中横断歩道付近において、自車左前部を被害車両に衝突させてしまった被告人には、右の意味において、左側方ないし左後方に対する安全確認義務の違反があると主張するのである。そして、被告人車両の衝突部位を、検察官主張のとおり、証拠上「左前部」(その意味につき、検察官は、第一四回公判期日において、公訴事実にいう被告人車両の左前部とは、「被告人車の前面の左側部分を指すものであって、車体の側部を含む趣旨ではない。」旨釈明している。)と特定し得たと仮定しても、同車を事前に発見捕捉し得なかった点を捉えて、刑法上の過失があったと認め得るか否かは、それ自体一個の問題であるが(弁護人は、本件道路状況等にかんがみ、そのような場合でも、被告人には過失はない旨主張している。)、そのことはひとまず措くとしても、検察官主張の左後方確認義務違反の過失は、あくまで、被告人車両の衝突部位が「左前部」であったことが前提とされていることに注意しなければならない。死角の大きい大型車両を運転して交差点を左折する自動車運転者には、前方はもとより右方、左方更には後方等あらゆる方向に対する万全の安全確認が求められるわけであるが、「いやしくも横断歩道付近で惹起された自転車との衝突事故である限り、それが、大型車両の前部でなく後部の衝突によるものであったとしても常に過失を免れない」とするのは、大型車両の運転者に対し余りにも苛酷な注意義務を課することとなって妥当でないと考えられるのであり、本件において弁護人が、被告人車両の衝突部位が公訴事実記載のような「左前部」ではなくむしろ左後輪付近であった旨主張し、右主張に副ういくつかの有力な証拠を提出したにもかかわらず、検察官において、「本件については、検討の結果、訴因変更の請求をしないこととした。」旨明言し(第二〇回公判)、被告人車両の衝突部位が弁護人主張のとおり左後輪付近であった場合にも過失が成立するというような主張を一切していないのは、その意味において首肯されるところである。そうすると、本件において、被告人車両の被害車両との衝突部位が、公訴事実記載のとおり「左前部」であったと認め得るか、あるいは弁護人の主張するように左後車輪付近であったのかは、単に、事故の因果関係に関係するというだけでなく、被告人の過失の成否を決する重要な前提事実であるといわなければならないのであって、衝突部位に関する検察官の主張が証拠上肯認し得ないときは、そのこと自体により、後方確認義務違反の過失は、これを否定せざるを得なくなる。

以上のとおり、本件においては、被告人車両の衝突部位が、公訴事実記載のとおり、「左前部」であったと認め得るか否かの点が、まずもって、実質上最大の争点であると認められるから、以下、この点を中心に考察を加えることとする。

二  被告人車両の衝突部位・態様に関する証拠関係

1  衝突の部位・態様に関する証拠の特色

本件においては、両車両の衝突の状況に関する直接証拠が、衝突直後の状況を目撃したとみられる前記Dの証言以外には全くなく、被告人自身も衝突の時点で直ちに事故に気付いたわけではないので、被告人車両のどの部分がどのような態様で被害車両と衝突したのかは、被告人車両や路面に残された各痕跡とか、事故直後の被害者及び被害車両の転倒位置・方向等を総合して合理的に推認するほかはなく、これらの点が、右衝突の部位・態様更には被告人の刑責の有無を決する上で最も重要な証拠であることは、何人にも容易に理解されるところであるが(現に、検察官は、論告において、被告人車両の底部の痕跡及びこれらを基礎資料として行った鑑定人江守一郎作成の鑑定書により、被告人車両の衝突部位が左前部であったと認定することができる旨主張している。)、本件の捜査にあたった所轄の朝霞警察署の警察官によるこれらの証拠の収集・保全の方法が甚だ杜撰で適切を欠いたため、衝突の部位・態様を推認する上で重要なこれらの客観的事実関係自体に争いを生じ、その確定を相当程度関係者の供述に依拠せざるを得ないという異常な事態を生じている。当裁判所が自動車工学の専門家(成蹊大学工学部教授江守一郎)に命じて行わせた鑑定が、後記のとおり甚だ信頼性に欠けるものとなったのは、一つには、同鑑定人が証拠物(エアクリーナーカバーの痕跡等)の評価を誤った点にあるが、その根底には、右鑑定の基礎とされるべき客観的証拠の収集・保全が不適切であったという点の存することは、これを否定することができないと考えられる。

2  衝突の部位・態様に関する客観的証拠の概要

証拠の収集に関する個々の問題点については、のちに詳しく触れるので、以下においては、その問題点の概略のみを一括して指摘しておくこととする。

まず、右問題点の指摘に先だち、当公判廷で取り調べた証拠のうち、衝突部位・態様の推定に役立つと思われる客観的証拠の概要を示すと、次のとおりである。

(1) 押収してあるエアクリーナーのカバー(被告人車両の底部から取り外したもの。昭和六〇年押第二一七号の1)

(2) 同じく子供用自転車(被害車両。同押号の2)

(3) 司法巡査作成の写報二通(本件交差点の見通し状況に関するもの並びに被告人車両及び被害車両の状況に関するもの)

(4) 司法巡査作成の五月一三日付け実見(被告人立会いの上、被告人車両の進行の過程等を明らかにしたもの。以下、「五・一三実見」と略称し、他の実況見分調書も右の例による。)

(5) 同五・一四実見(被害者の遺体の損傷状況に関するもの)

(6) 同五・二〇実見(被告人立会いの上、被告人車両の痕跡を見分したもの)

(7) 鑑定人小沼弘義作成の鑑定書及び同人の証言(被害車両の前輪泥除け部分に付着する塗料ようのものと前記(1)のエアクリーナーカバーの塗料の同一性に関するもの)

(8) 鑑定人江守一郎作成の鑑定書及び同人の証言(被告人車両の形状、被害自転車の損傷状況、被害者の受傷状況等から本件事故の態様、衝突部位等を推論したもの)

(9) 証人陸川容亮の供述(被害者の身体の損傷状況に関するもの)

(10) 当裁判所の検証調書(各関係人の指示する血痕・擦過痕、被害者及び被害車両の各位置等を明らかにするもの)

3  証拠上の問題点

右のうち、特に、(1)、(4)、(6)、(8)については、次のような問題がある。

(1)について-右エアクリーナーカバーは、表面を赤色塗料で塗装された、平たい円筒状の金属製のもので直径約二九センチメートル、高さは約七センチメートルである(この点に関する五・二〇実見の記載には、後記のとおり誤りがある。)。右エアクリーナーカバーは、被告人車両のバンパー左前部のやや後方に、下方に平面部分を向けて装着されていた。右カバーの右平面部分の表面には、後記(第四、二、1)のとおり、かなりの長さに及ぶ一群の痕跡が認められるところ、捜査当初から、警察官は、右痕跡を本件事故による擦過痕であると考えて捜査を行ってきたものである。しかし、右痕跡が本件事故による擦過痕であると認められないことは、のちに詳述するとおりであり、本件捜査は、そもそもの出発点において誤った前提に立脚したものといわなければならない。

(4)について-右は、事故直後に、被告人立会いの上で被告人車両の進行の過程等を明らかにしたもので、この種交通事故事件の捜査の出発点となるものであるが、その記載が甚だ不備である。例えば、右実見には、「現場道路に擦過痕、血痕が印象されていた」旨の記載はあるが、その位置・形状を明らかにする記載も写真の添付も全くなく、「被疑車両の前部下部に、被害車両と衝突したと認められる接触痕があった」旨の記載があるのに、右接触痕がいかなるものであるかについての具体的記載はなく、被告人は、当初から、衝突した瞬間には衝突に気付いていない旨供述していたのに、警察官の主観的判断により推定した衝突地点が図面に<×>印で記載されている。更に、被告人が当初から、衝突したのは車体の左後方だと思う旨供述し、右供述に基づき車体左後部の実況見分や写真撮影も行われたはずであるのに、右状況に関する記載も写真の添付も全くなされていない(また、本文中では、被告人が被害者及び被害車両の各転倒地点として<イ><ロ>の地点を指示したとされているのに、図面中では、<イ><ロ>の記載はなく、<ア><イ>と表示されるなど、明白な誤記もある。)。

(6)について-これは、事故の三日後(五月一六日)に、埼玉県新座市の東武自動車局志木バス車庫敷地内において、被告人車両をピットに乗せ、その底面を見分したものであり、添付図面及び写真により、同車両の底部の損傷状況は、ある程度明らかにされているが、例えば、エアクリーナーカバーに関する添付図面2-A図を前記実物と対照してみると、その直径や表面の痕跡の長さ等に大きなくいちがいがあり(実物の計測によると、その直径及び痕跡の長さは、それぞれ約二九センチメートル及び二三センチメートルであるが、同実見上には、それが約四〇センチメートル及び二九センチメートルであった旨記載されている。)、また、「側面地上高(二九センチメートル)」の記載も、更新前の裁判所が第一四回公判期日に行った被告人車両の検証の結果(これによると、エアクリーナーカバーの地上高は、五三センチメートルとされている。)と大きくそごしている。このような点につき、何故に計測上大幅な誤差を生じたのかは明らかでないが、本来生じるはずのない計測上の誤差が、たまたま実物との対照が可能であった唯一の物件であるエアクリーナーカバーについて多数存したということは、右実見全体の正確性に強い疑問を生じさせるものであり、車両底部のその余の痕跡の形状、大きさ等についての図面の記載をそのまま信用してよいかどうかは問題である。また、右の点を別にしても、同実見添付の写真によっては、同添付の図面に記載された痕跡の状況が必ずしも明確にされているとは認め難く、右図面記載の痕跡の全部又は一部が本件事故によって生じたものであることが明らかであるともいえない。

(8)について-(8)鑑定は、本件事故によって生じたとは認められない前記(1)のエアクリーナーカバーの痕跡及び本件事故により生じたものと断定できない前記(6)<1>の実見記載の痕跡を本件事故によるものと断定した上で、これを最大の論拠として衝突部位、態様を推論したもので、その前提に誤りがあるほか、鑑定の手法にも問題がある。

第四  被告人車両の痕跡について

一  緒説

検察官が、「被告人車両の衝突部位はその左前部である」という主張を支持する証拠として指摘するものは、<1>被告人車両の底部の痕跡、及び<2>鑑定人江守一郎作成の鑑定書に尽きる。しかし、右各証拠については、さきに一言したとおり、その証拠評価上看過し難い問題点が存するので、以下、各問題点につき、順次、やや立ち入った検討を加えることとする。

ところで、前記のとおり、<1>被告人車両の左前部の底部に装着されていたとされるエアクリーナーカバー底面の前後方向には、かなりの長さに及ぶ痕跡の存することが明らかであり、また、前掲(6)実見によれば<2>同車両左側フロントアームから後部デフミッション底面ほぼ中央付近にかけて、主として同車両の左側底面に、一連の擦過痕が認められたとされている。

そして、検察官は、前記エアクリーナーカバーからデフミッションに至る痕跡は、前方においては左側で、後方にいくに従って中央に移動していく連続的なものであり、しかもエアクリーナーカバーの痕跡は何かに擦られたような真新しい損傷であったから、これら一連の痕跡により、左前部が衝突部位であることが裏付けられたと主張しているので、右主張の当否について検討する。

二  エアクリーナーカバーの痕跡について

1  実物の観察

押収してあるエアクリーナーカバー(昭和六〇年押第二一七号1)を観察するに、右は、直径約二九センチメートルの金属製円筒状のもので、表面は赤色塗料でおおわれている。車体に装着されている際に底面となる平面部分(以下、これを「底面」という。)は、直径約二九センチメートルの平らな円状をなしているが、その縁に一個の突起部がある(車体に装着されている際はこれが後方になる。)。突起部から円の中心を通ってその反対側に下ろした直線を基準線とすると、基準線から左に約三センチメートル離れて、長さ約二三センチメートル、幅約三センチメートルの範囲で、基準線とほぼ平行に何本もの線状の痕跡(以下、「線群」という。)があるが、右線群は、突起部側から約一五センチメートル付近で、一旦、約二センチメートル程消え、またその延長線上で復活している。そして、右線群を一見しただけでは、これが、<1>金属など硬いもので擦過されたような筋が細かく印象されて、表面が削られているものか、<2>泥などが細かい筋状に付着して、むしろ表面から盛り上がっているものかは、必ずしも明白ではないが、これを仔細に観察すると、右<2>の場合であって<1>ではないことが判明する。右線群の最前部付近に、塗料が剥げ、銀色の地肌が見える部分が二か所あり、直径一センチメートル程の円状及び、縦一センチメートル横二センチメートル程の長方形を呈している。その他、右線群の突起部に最も近い部分から、右線群と約四五度の角度で、右線群より薄い線が何本か基準線を横切って走っている。また、縁付近は塗料が剥げ、地肌が見える部分が多数ある。次に、円筒の側面部を観察すると、突起部の反対側に黒で「前」と書かれ、裁判所のラベルが張ってある。右ラベルの上部(装着時には下になる)付近には、最表面の塗料が剥げたり、あるいは最表面の塗料の塗り忘れのように見える、塗料が二層になっている部分が多数ある。

ところで、検察官は、前記線群が本件事件による痕跡であると主張しているのであるが、右線群は塗膜の剥離を伴う擦過痕ではなく、単に泥ようのものが表面に付着しているのにすぎないと認められること、前記のように、途中二センチメートル程消失しており、連続性がないことなどからみて、少なくとも、これを被害車両の擦過の痕跡であると認めることには重大な疑問があるといわなければならない。なお、右のうち、線群の途中の消失部分の生成原因につき、弁護人は、米沢、江守両証人の尋問中に、弁護人が誤って指で消してしまった旨の発言をしているところ、当裁判所には右発言の真否を確認する手段がないが、被害車両の擦過により右のような途中の消失部分を含む痕跡を生ずるとは考えられず、もし右消失部分が当初から存在したとすれば、警察官が右痕跡を事故によるものと考えることもなかったであろうし(現に、五・二〇実見添付の図面には、右消失部分は表示されていない。)、また、もし右痕跡が被害車両の擦過により生じたのであるとすれば、弁護人が指で触れた程度でこれが消失するというようなことは通常考え難いのであるから、いずれにせよ、エアクリーナーカバー表面の線群に一部消失部分が現に存することは、右線群が被害車両の擦過により生じたものではないことを示唆する有力な事実であるというべきである。更に、右線群が、被害者の身体その他のものの擦過によって生じた可能性について考えると、付近は乾燥した舗装道路であって、仮りに被害者が一旦路上に転倒したのちであっても、右身体の擦過によりエアクリーナーカバーに泥ようのものが筋状に付着するとは考えられないから、右の可能性も否定してよい。

2  小沼鑑定及び小沼証言

ところで、裁判所の命により、被害車両の前輪泥除け部分に付着する塗料様片と被告人車両のエアクリーナーカバーのカバー部分の塗料と同一性の有無について鑑定を行った科学警察研究所附属鑑定所主任研究官小沼弘義(以下、「小沼」という。)作成の鑑定書には、「エアクリーナーカバーの底面から採取した赤色塗膜及び側面から採取した赤色塗膜の一部は、被害車両に付着した赤色物質と同種の塗料材質から成る塗膜と考えられる」との記載があるが、同人は、右鑑定書中及び公判廷における証言中で、「エアクリーナーカバーの外側底面には、擦過状に泥よう物質の付着が認められるが、表面の赤色塗膜が削られ剥離した痕跡は観察されなかった」旨、繰り返し述べており、この点は、前記実物の観察結果ともほぼ符号し(前記のとおり、底面に二か所地肌が見えているところがあるが、小沼は、これをも見た上で、塗膜が削られた跡は認められないと述べていると思われる。)、これを客観的に裏付けるものである。なお、小沼鑑定は、右のとおり、被害車両に付着した塗膜(以下、「付着塗膜」という。)の一部が右エアクリーナーカバーの塗膜と同種の塗料材質から成るとするが、付着塗膜の他の一部はエアクリーナーカバーの塗膜とは異なる塗料材質から成るとされていること、エアクリーナーカバーの表面には塗膜が削り取られ剥離した形跡がないとされていること、被告人車両の車体の底部には、他にも同様の赤色塗料で塗装されている部分がかなりあることなどの諸点を考慮すると、付着塗膜の一部がエアクリーナーカバーの塗膜と材質が一致することをもって、エアクリーナーカバーが被害車両により擦過された事実を推認する論拠とすることはできない。

3  警察官らの各証言

ところで、エアクリーナーカバーの痕跡につき、警察官らは、「引っかき傷で溝ができていた」、「塗装が剥げており、金属片により削り取られた可能性が強く、本件では被害車両が考えられる」「傷は新しいと見受けられた」(神田)、「左の下の方からついている傷が接触痕のようなものがついていた」(八木田)、「エアクリーナーカバーに、何かにこすられたような感じのホコリとか油とか、それに付いたような真新しい傷があった」(米沢)などと、ほぼ一致して、痕跡は何かがその表面を削り取ったようなものであったとする趣旨の証言をしている。

しかし、警察官らが右痕跡を確認したあと、裁判所に提出するために被告人がエアクリーナーカバーをはずすまでの間に、被告人車両は、朝霞警察署から被告人宅までの舗装道路を走ったにすぎないと認められるのであって(被告人第四回公判供述)、エアクリーナーカバーの痕跡状況が事故直後と比べ激変したとは考えられず、前述のように、現にエアクリーナーカバーに残っている痕跡が泥ようのものの付着にすぎないことからすれば、事故直後の時点で、警察官らの証言のように、表面が削り取られたような痕跡があったとするのは、極めて不自然であり、警察官らはその認識を誤ったものといわなければならない。

4  被告人及びCの各供述

これに対して、Cは、「(エアクリーナーカバーの痕跡は)傷というか、泥がさっと取れたような感じでしたから(本件事故との関係は)全然ないと思った」旨証言している。また被告人は、被告人車両前部で衝突したことを概括的に認めている捜査段階における供述調書においてすら、車両底部の痕跡については、「お巡りさんに言われ、車の下部を見たところ、車の前部の下部の前輪アームから車の後方にかけて、キズが付いておりました」(5・13巡面)、「私が見たところ、ダンプの左前部下、つまり左前輪アームから車の後方にかけてキズがついていました」(5・16員面)などと供述するだけで、エアクリーナーカバーの痕跡については何ら触れていない。そして公判廷においては、「(傷と言われているものは)手で拭き取るとその泥は取れてしまう」「塗装には何ら傷はない」(第四回公判)、「削ったような感じじゃない」「泥が付いてた感じ」(第七回公判)と供述している。これらの供述は、前述したエアクリーナーカバーの現状とよく符合し、これらの供述が真実を述べたものであるということを、強く推測させるものである。

5  エアクリーナーカバーの痕跡に関する結論

以上によれば、エアクリーナーカバーの痕跡は、本件事故によって生じたものであるとは、到底認められないというべきである。

三  被告人車両底部のその余の痕跡について

1  五・二〇実見の記載により窺われる状況

五・二〇実見によると、被告人車両の底部には、エアクリーナーカバー底面を別としても、<1>左側フロントアームに幅二センチメートル、長さ三センチメートルの、<2>車体左側に装着されているマフラーの前面から後方にかけて、最長四十数センチメートルに及ぶ三ないし四本の、<3>左右トレーリングリンク前面から後方にかけて若干の、<4>後部デフミッション底面ほぼ中央付近にかけて幅約四センチメートルの「く」の字型の各「擦り傷」が認められたとされており、同実見には、右各「擦り傷」の状況を撮影したという写真五枚(写真<4>ないし<8>)が添付されている。しかし、右各写真のうち、フロントアームの状況を撮影した<4><5>によっては、図面上に図示された「擦り傷」の形状や鮮度を確認することができないし、マフラーの状況を撮影した<6>及びデフミッションの状況に関する<8>には、各図面に図示された形状にほぼ符合する痕跡がみられるが、写真から判断する限り、右は、いずれも、表面のほこりが拭われた状況にすぎないように窺われ、これが、各部品の表面を金属等の固形物で擦過した場合に生ずる擦過痕であることが明らかであるとはいえない。もっとも、右各写真のうちトレーリングリンクの状況に関する<8>だけは、その表面が固い物体で擦過されて、内側の赤色塗料が露出した状況のように一応窺われるが、これとても、表面に新たに赤色塗料が付着した状況であると見えないことはない。

2  右各痕跡の生成原因

被告人車両の底部の痕跡が右1認定の程度のものであるとすると、いずれにしても、その全部が本件事故により生じたものと認めるには疑問が残るというべきである。例えば、前記<3>の痕跡が、単に赤色塗料の付着にすぎないとすれば、被害車両に赤色塗料が使用されていない本件においては、これが事故と関係のあるものと考えることには重大な疑問が生ずるし、その余の痕跡の中にも、形状、鮮度等からみて、被告人車両が被害車両を引きずった際に生じたものと断じ得るものは存在しない。更に、エアクリーナーカバーには本件事故によって生じたと認め得る痕跡がないことは前記のとおりであるところ、被害車両が被告人車両の前部と衝突したのちその車体の下に入り込む間隙としては、エアクリーナー下部の空間以外には考えられないことは、江守証言(三〇丁、三一丁)も認めているのであるから、被害車両が、被告人車両のエアクリーナーの下部に何らの痕跡を残さないまま、その車体下部に入り込み、左側フロントアーム等に一連の痕跡を残したというような事態を想定することは困難である。従って、右一連の痕跡は、その形状・位置等に照らし、事故との関係が明らかなものであるとはいえないというべきである。

他方、被告人の供述によれば、被告人は、本件事故車両を運転して、事故当日の午前中には秩父の採石現場へ、事故の前日には多摩の採石現場へ、更に四月三〇日(事故の一三日前)にはコンクリートのガラ(直径二〇センチメートルくらいの大きさで、丸いのも尖ったのもある。)を敷き詰めた志木の現場へ行っている事実が窺われる上、各痕跡の付いた部分は、五・二〇実見の記載によっても地上からせいぜい三、四〇センチメートル程度しか離れていないとされていることなどを併せ考えると、右各痕跡が、本件事故時以外の機会に付いた可能性も、これを否定することができないといわなければならない。

3  被告人車両底部のその余の痕跡に関する結論

以上のとおり、エアクリーナーカバーの痕跡を除くその余の一連の痕跡は、その全部又は一部が、本件事故により生じたものと断定することができず、結局、右各痕跡と事故との関係は明らかでないといわなければならない。

四  左後前輪の痕跡の存否について

1  被告人及びCの各供述

次に、検察官が否定し、弁護人が主張する左後前輪の痕跡の存否について検討する。この点についてCは、左後前輪に、「土がこすれたというような感じの」又は、「全体的に泥が付いて白くなっていたタイヤの泥がとれて黒いタイヤが見えたというような感じの」跡が見えた旨証言し、被告人も、左後前輪に、何かが触れてタイヤのほこりが取れてタイヤの生地が出たような直径約二〇センチメートルの跡があった旨、ほぼ同旨の供述をしている。

2  警察官らの各証言

これに対し、事故現場及びピット上などで車両の見分を行った神田、八木田、米沢の各警察官は、一致して、左側タイヤには、損傷、汚染、付着物など本件事故に関係ありそうな痕跡は、何もなかったと証言し、神田が作成した五・二〇実見にも同旨の記載がされている。

3  痕跡保存措置の不自然性

このような供述の対立は、左後前輪を撮影した写真さえあれ解消できるものであることはいうまでもないが、本件においては、五・二〇実見も含めて、被告人車両左側面を撮影した写真が一枚も証拠として提出されていない。しかし弁護人は、第二回公判でした冒頭陳述において、事故直後に警察官が被告人車両の左側面を撮影した写真の存在を主張し、Cも「現場で警察官が左後前輪の痕跡につき写真をパチパチ撮っていた。」、被告人も「タイヤの痕跡を警察官は写真に撮った。自分が指さして撮ったという記憶もある。」などと、いずれも弁護人の主張に副う供述をしている。これに対し、検察官は、ついに右写真を証拠として申請せず、論告においては、右写真が撮影された形跡はないとも主張している。しかし、第二回公判において、八木田は、一旦は、現場では被告人車両についての写真撮影をしていない旨証言しながら、弁護人に追及されて、自分は撮っていないが、他の人が撮っていたかどうかについては、「ないと思うんですがね。」「(ないと思うということか、ないということか)分からない。」などとあいまいな供述をしており、右最終的な供述の趣旨は、警察官において写真撮影をした事実を明確に否定するものではない(神田は事故当日現場での写真撮影に関しては言及していない。)。更に、第四回公判に証人として出廷した米沢は、「左側方のタイヤについて写真に撮ったはず」(速記録一九丁)「記憶では前輪、後輪それぞれ撮ったはず」と証言するだけでなく、「普通事故現場では写真を撮る場合は、前方、後方、左右、そして特に関係のある部分、今回のように甲野さん(被告人)が左側方から入ったということを言う場合には一応左側面を主に写真撮ります。」(二二丁)、「本件当時、被告人が左側方から入ったと言っていたので、左後方についての写真を撮った」(二三丁)などと、被告人が当初から左側面における衝突の可能性を主張していたことと関連させて、極めて具体的な証言をしている(なお、二九丁参照)。以上のように、被告人車両の左側面については、被告人及びCが、一致して警察官により写真撮影が行われた事実を供述しているだけでなく、捜査にあたった警察官の中にも、ほぼ右供述に副う趣旨の証言をする者がおり、他の警察官の証言も明確に右撮影の事実を否定するものではないこと等からすれば、警察官らが、事故現場において、左後部での衝突の可能性を主張する被告人の指摘に基づき、被告人車両の左側面の見分を行いその写真撮影した事実は、証拠上ほぼ明らかであるといわなければならない。

それでは、検察官は、何故に、その写真を証拠として申請しないのであろうか。この点につき、米沢は、撮影したフィルムは、いくつかの事件をまとめて一括して警察本部に持って行き、現像された写真だけが戻り、撮影に失敗した写真は戻ってこないシステムになっているところ、本件の写真については戻ってこなかった旨証言し(二〇丁)、また、本件では写真の写し方がまずかったので、一枚も返ってこなかったと証言する(四九丁)ものの、その場合のネガの取り扱いにつき、「写ってなくてもネガだけ返ってくる」と述べたり(四九丁)、「朝霞警察署に行って、ネガを全部見たが、ネガは見つからなかった。そうすると失敗したとしか考えられない。」(五〇丁)と述べたりして、その言わんとする趣旨は必ずしも明確であるとはいい難い。

このように、捜査の衝にあたった警察官らが、被告人に有利な証拠となる可能性のある写真やネガフィルムの現存しない理由につき、明確な説明をすることができない本件においては、右証拠の収集、保存の過程に訴追側の少なくとも重大な過失があったと推認されてもやむを得ないのであって、右証拠の存在しないことによる不利益を一方的に被告人側に負担させるのは相当でない(なお、検察官としては、このような客観的証拠の保管に関し疑念が生じたときは、積極的にこれを解消するための努力をする責務を有すると考えられるが、本件においては、論告において、被告人車両の左後前輪の写真が撮影された形跡はない旨、前記米沢証言を無視する主張をするに止まり、その責務を十分に果たしているとは認め難い。)。

4  左後前輪の痕跡に関する結論

従って、被告人車両の左後前輪に衝突によると思われる痕跡があったとする被告人及びCの各供述は、これを排斥することができないというべきである(もっとも、後述する江守鑑定では、この痕跡の存在を前提として、被害車両が最終的に被告人車両の左後前輪で擦過された際に付いた痕跡であって、左前部が衝突部位であるとする結論と矛盾しないとするが、右はあくまで一つの可能性にとどまるものであって、この痕跡が、他の仮説、例えば弁護人の主張するような左後前輪への被害車両の衝突とも符合することはいうまでもない。)。

五  前部バンパーの痕跡の不存在について

被告人車両の前部バンパーに痕跡が存在しなかったことは、実見にこそ記載はないものの、被告人やCはもちろん警察官らも一致して供述しているところであり、他にこれと抵触する証拠は存在しない(この点、江守はよく見れば痕跡があったはずだとも述べるが、右の一致した供述を無視するもので採用できない。)。そして、被害車両が被告人車両左前部に衝突して転倒しながら、バンパーに何らの痕跡を残さなかったというような事態は、右事故が低速の大型車両と年少者の運転にかかる軽車両との衝突によるものであることを考慮しても、通常考え難いことであるから、被告人車両のバンパーに何らの痕跡が存しなかったことは、むしろ、被告人車両の衝突部位を「左前部」とする検察官の主張と積極的に抵触する可能性のある事実であるというべきである。

六  被告人車両の車体の痕跡に関する結論

結局のところ、被告人車両に存した一連の痕跡のうち、<1>エアクリーナーカバーの痕跡は本件事故によるものとは認められず、<2>また、車体底部のその余の痕跡も、これが本件事故によるものであるかどうかは明らかでなく、かえって、<3>左後前輪に痕跡があったという被告人らの供述を排斥することができず、<4>左前部バンパーに痕跡がなかったことなど、左前部が衝突部位であることと積極的に抵触する可能性のある証拠もあるのであって、これらを総合すると、被告人車両の痕跡は、これを全体としてみる限り、衝突部位が被告人車両の左前部であることを推認させるものではないといわざるを得ない。

第五  江守鑑定について

一  位置鑑定の概要

検察官が、被告人車両の衝突部位を左前部と認めるべき根拠として最も重視しているのは、鑑定人江守一郎作成の鑑定書及び同人の証言である。

裁判所の命により、「被告人車両の死角等のほか、被告人車両の形状、被害自転車の損傷状況、被害者の受傷状況等から判断した被告人車両と被害自転車の衝突地点、衝突部位、衝突態様、衝突時の両車両の速度及び被害自転車の通行方向、特に被告人車両の前部と左側部のいずれの部位との衝突の可能性が大きいか」との鑑定事項につき、自動車工学の立場から鑑定を行った成蹊大学工学部教授江守一郎(以下、「江守」という。)は、その鑑定書中で、大要、横断歩道の北側端に近い点において、被告人車両前部バンパー左端が被害車両の右側に衝突し、被害車両は左を下にして倒れ、エアクリーナーカバーのところから被告人車両下部に入ったのち、同車両底部の突起部等に引っかかり引きずられ始めたが、摩擦係数の大きい被害者によって遮られたために二度反転した上、左後前輪に轢過されたと認められる旨の意見を表明し、更に、昭和六三年九月一六日に行われた公判期日外の証人尋問において、鑑定書の作成経過及び内容につき証言した(以下、「江守証言」という。鑑定書と併せて「江守鑑定等」ということもある。)。

しかし、右江守鑑定等につき、弁護人は、種々の角度からその信用性を争っているので、まず、その内容をいま少し詳しくみてみることとする。鑑定書によると、同鑑定は、「瞬間的事象である自動者事故を再現するには、信用性に乏しい供述証拠を極力排除し、物的証拠のみを基にして、考えられる多くの事故態様を想定し、その中から、自然法則に照らし物的証拠を説明し得ない態様を一つ一つ消去していくという作業を繰り返す」という基本的手法に基づくものとされており、具体的には、まず、被害車両の損傷状況に着目してそれが被告人車両のタイヤにより轢過されたことを推認し、しかも被害車両の両側に残された痕跡から、それ以前に反転したことを推認した上、被告人車両の底部痕跡から被告人車両の左前部を衝突部位と推認し、左方に転倒した被害車両は、被告人車両の左前端付近のエアクリーナーカバーの部分から同車両の下に入り、その前方に位置した被害者によって阻止されて二度反転したのち、被告人車両の左後輪で轢過されたが、被害者は同車両より「一・五~二メートルほど被告人車両の進行方向から見て右側」(これは、横断歩道の中央寄りにあたる。)に取り残されたため轢過されなかったとするのである。同鑑定によると、右のように想定すれば、擦過痕の位置、長さ、被害者の受傷状況、更にはDの目撃証言などをも合理的に説明できるとされている。しかし、同鑑定等を仔細に検討すると、その中には、その証拠価値に疑問を抱かせる種々の問題の存することが明らかである。そこで以下、順次これらの問題点を指摘することとする。

二  江守鑑定の問題点(1)-被告人車両の痕跡の評価について

前述のとおり、被告人車両については、その底部の痕跡のうち、<1>エアクリーナーカバーの痕跡は単なる泥の付着であって、本件事故による痕跡であるとは認められず、<2>その余の底部の痕跡も、他の機会に付いた可能性があり、本件事故によるものであるか否か明らかでなく、また、<3>前部バンパーには何らの痕跡がないことが警察官らによって確認されている。しかるに、江守鑑定は、右<1><2>が一連の痕跡を形成している以上、それが本件事故によるものでないという積極的な反論がない限り事故と無関係とはいえないという立場から、右痕跡の存在を最大の論拠として、被告人車両左前部での衝突を推認しており(この点に関する江守の立場は、「被告人車両の後部に被害車両が衝突した可能性はないか」との趣旨の当裁判所の質問に対し、「そういうことを想定しても構わないが、そうすると、エアクリーナーの傷であるとか、前輪の下部構造のへんの擦過痕など説明のできない傷がいっぱい出てくる。そういう傷が、この事故によるものでないということを積極的に説明できれば、またそれはそれで考えなければいけない。」との趣旨の応答をしている部分<速記録二三丁>に端的に表現されている。)、また、<3>についても、「よく見れば傷がついていたはずである」旨証拠を無視した認定をしているのである。

以上のとおり、江守鑑定は、本件事故によるものとは認められない被告人車両のエアクリーナーカバーの痕跡及び右事故によるものであるか否か明らかでないその余の痕跡を、いずれも右事故によるものであるとし、また、警察官らによって痕跡のなかったことが確認されている同車両の前部バンパーに、痕跡が存在したはずである旨証拠を無視した認定を行い、これらの証拠上首肯されない前提に立脚して事故の態様を推論するものであって、その推論の前提には重大な問題があるといわざるを得ない。

三  江守鑑定の問題点(2)-被害者の受傷部位との関係について

本件被害者の頭頂部から左側頭部にかけては、前記第二、八記載のとおり陥没骨折が生じているが、陸川証言によれば、右陥没骨折は、局所的に力が集中した箇所(例えば野球のバットでたたかれたときや、道路の縁石にたたきつけられたときの当該箇所)に起こるもので、平らなものに当たった場合には起きにくいことが認められ、江守も、そのこと自体はこれを認めている。

ところで、江守鑑定は、右陥没骨折は、被害者が被害車両とともに左方を下にして路上に転倒させられ、同車両が同人の上で二度反転する間に生じたものであると想定するのであるが、右のような事故態様を前提とすれば、同人の頭部は、左側を地面により圧迫されるとともに右側を自転車の一部により圧迫されることになるはずであって、自転車の車体中に路面より平らな部分があるとは考えられないこと、及び被害者が転倒した路面に縁石や石等の突起物があったとする証拠はないことなどに照らすと、被害者の頭部の陥没骨折は、その左側よりも右側に生ずる方が、はるかに自然であるといわなければならず、前記江守鑑定の想定は、被害者の頭部に生じた現実の陥没骨折の部位と符合しない。(なお右の点につき、江守は、証人として、一旦は自転車に当たった側の方が陥没骨折すると思うと供述したが、続いて弁護人から、被害者の頭部の陥没骨折の位置は左側であったことを告げられて追究されるや、地面に当たった方が陥没する可能性もある旨証言を変更するに至ったのであり、右供述の経緯からすると、同証人は、弁護人の主張のとおり、被害者の頭部の陥没骨折が右側にあったという誤解に基づき、被害者が左を下に倒れたという結論を導いた可能性さえ窺われるところである。)

以上のとおり、江守鑑定の想定する事故の態様は、被害者の頭部陥没骨折の部位及びその生成機序に関する医学的見解と符合せず、むしろ、同鑑定は、右骨折の位置を誤解して結論を導いた疑いすらあるのであって、右の点からみても、その証拠価値は疑問であるといわざるを得ない。

四  江守鑑定の問題点(3)-被害者の転倒位置との関係について

1  江守鑑定の想定する被害者の転倒位置

江守鑑定は、前述のとおり、被害者が被害車両より一・五~二メートル程度、横断歩道の中央寄りに取り残された(そのため、被告人車両の後輪により轢過されなかった)ものと想定している。

2  被害者の転倒位置に関する証拠とその検討

この点に関する証拠は、以下のとおりである。

事故直後の実況見分に従事した警察官である八木田由太郎及び米沢静雄は、いずれも証人として、自分達が現場に到着した時点では被害者は搬送されたあとであったが、被告人が、被害者の転倒位置として指示説明した地点(別紙図面一の<ア>地点)に血痕(直径約二〇センチメートルのドロッとしたもの)があったと供述しており、右<ア>地点は、八木田作成の昭和六一年五月六日付け「業務上過失致死被疑事件の捜査について」と題する書面によれば、別紙図面二の基点2(以下、基点の表示は、すべて別紙図面二による。)から二・一メートルの地点であったとされている。そして八木田は検証時においても血痕が基点2から一・七五メートル、基点3から〇・九メートルの地点にあった旨指示・証言しており、同人の指示・証言にかかる血痕の位置は、前後おおむね同一であるとみてよい。

他方、大川は、自分が到着したときにはすでに被害者はおらず、血痕はなかったが、直径約三〇センチメートルの吐しゃ物と思われるもの(口から吐いたとうもろこしがちょっと混じった血と汚物みたいなもの)が、信号柱(基点3)の真下付近にあったと述べ、同人が検証時に指示した右吐しゃ物の位置は、基点2から一・四五メートル、基点3から〇・八五メートルの地点であった。

これに対し、被告人は、捜査段階には、前記<ア>地点に被害者が倒れていた旨供述したとされているが、公判廷においては、自分が右<ア>地点を指示説明したことはなく、被害者は自転車があった位置(別紙図面一の<イ>地点)のすぐ横(道路の南角寄り)に、頭を道路の南角に向け、足が自転車のサドルに向けて倒れていたと供述し、検証時においては、基点1から六・〇メートル、基点2から一・六メートルの地点を指示した。そして、被告人の公判廷における供述(第七回公判)によると、被告人は、被害者を発見した直後、後続車両に轢かれないようにそのままの向きで壁際に移動しておいた(第一段階の移動)ところ、自分が一一九番と一一〇番等の電話をかけて戻ってみると、被害者が誰かの手によって、電柱(基点2)と信号柱(基点3)の中間部の壁際に、頭を荒川方面に向けて壁と平行に寝かされ、毛布をかぶせられていた(第二段階の移動)、そして、その後、被害者が救急車で搬送されたあとになって、第二段階の移動地点にドロッとした血痕があったことなどを供述した。

そこで、右各供述を比較検討してみるのに、まず、被告人の公判廷における供述は、自車との衝突によって路上に転倒していた被害者を発見したのち、驚いて同人を道路の端寄りに移動させ、一一九番等の通報をして戻ってみると、同人が更に移動されていたとするもので、その内容が詳細、かつ、具体的であるばかりでなく、思わざる事故を惹起した自動車運転者の行動を述べたものとして、素直に理解することができ、その間に、作為のあとは感ぜられない。のみならず、右被告人の供述は、被害者が第二段階の移動後寝かされていたという地点に血痕があったとする点において、C証言によってほぼ支えられ(被告人が見たというものは「血痕」であり、Cが見たというものは「吐しゃ物」とされているが、いずれにしても、両者はドロッとした血液色のものであったという点で一致し、その位置もほぼ完全に一致しているので、右両名が見たというものは、同一物であったと考えてよいであろう。)、また、事故直後、直ちに被害者を抱き上げたとする点で、目撃者Dの証言による裏付けをも有する。他方、別紙図面一の<ア>地点に血痕があったという八木田、米沢らの証言も、その限度においてほぼ一貫し相互に符号するものではあるが、現認したという血痕の位置について実見上何らの記載がないばかりか、右実見添付図面の拡大写真として検察官が申請した写真(甲第二一号証)にも、<ア>地点を示す三角柱付近に同人らが現認したという血痕は見当たらないなど、肝心の客観的証拠による裏付けを全く欠いているので、現認した血痕の位置の点に関する限り、両証言に万全の信を措き難いうらみがある。右の点に加え、同人らの作成した実見に、前記第三、二、3、のとおり他にも種々杜撰な点があることをも考え併せると、果たして実況見分当時被告人が、被害者の転倒位置として本当に<ア>地点を指示したのかどうかについても、疑問を生ずることは、やむを得ないところであろう。

このようにみてくると、事故直後に被害者が転倒していた地点は、被告人が捜査段階で指示したとされている別紙図面一<ア>地点ではなく、公判廷における供述のとおり、同図面<イ>のすぐ横(道路の南角寄り)で、基点1から六・〇メートル、同2から一・六メートルの地点であったと認めるのが相当である。

3  右2を前提とした検討

右のとおり、証拠によれば、事故直後に被害者が転倒していた位置は別紙図面一の<イ>地点のすぐ横で、基点1から六・〇メートル、基点2から一・六メートルの地点であったと認められるが、右位置は、本件交差点及び被告人車両の各構造等から推認される同車両の左折軌道の内側(交差点角寄り)であるから、これを前提とすると、被告人車両が、被害者の身体の上を、左右タイヤでまたぐ形で通過するというような事態は想定し難いことになる。従って、証拠上認定される被害者の転倒位置は、被害者が被告人車両の左右タイヤによりまたがれる位置に転倒したはずであるとする江守鑑定の想定と明らかに矛盾するものであるといわなければならない。もっとも、江守は被害者は事故後胃内容物を吐しゃしている点からみて、かなりの生命力が残っていたと考えられるから、転倒後被告人により発見されるまでの間にフラフラと自力で動いた可能性があると証言するが、被害車両が空中に浮き上る段階から、約二〇メートルの距離を置いて事故を目撃した前記Dも、被害者が自力で動いた状況を目撃していないこと、D証言及び被告人供述によると、被告人が事故に気付いてから自車を停車させ車両後部へ赴き被害者を発見するまでに要した時間は、きわめて短かったと認められること、被害者は、即死でこそないが、頭蓋底骨折というひん死の重傷を負っているのであり、かかる被害者が、右のようなわずかな時間内に自力で場所を移動できたとはにわかに考え難いことなどからみて、右江守の推測は、これを採用することができない。

4  問題点(3)に関する結論

そうすると、江守鑑定の想定する本件事故の態様は、証拠によって認められる被害者の転倒位置と符合しておらず、その信用性には疑問があるというべきである。

五  江守鑑定の問題点(4)-被害車両の転倒の向きとの関係

1  江守鑑定の想定

江守鑑定の想定する事故の態様を前提とすると、事故直後、被害車両は、被告人車両の進行方向と逆の方向を向いて転倒していたはずであることになる(鑑定書添付図1においては、被告人車両の進行方向と同方向を向いた被害車両が記載されているが、同人は、証人として、これが記載ミスであることを認め、本来逆方向を向いた形で記載すべきであったとしている。同証言三四丁参照)。

2  被害車両の転倒位置の検討

そこで、被害車両の向きに関する検討の前提として、まず、被害車両の転倒位置に関する証拠をみてみると、右の点については、被告人も、捜査段階以来一貫して、別紙図面一の<イ>の地点を指示・供述しており(なお、検証調書によると、右<イ>地点は、基点1から六・三五メートル、基点2から一・八メートルの地点であることが明らかである。)、八木田、米沢の指示する地点も、ほぼこれと同一であるとみられるので、事故直後の被害車両の転倒位置は、ほぼ同図面<イ>地点であったと認めるのが相当である。(もっとも、Cは、第六回公判及び検証時の証言において、被害車両の転倒地点として、前記<イ>よりも道路の端に寄り、ほぼブロック塀に接する位置<基点2から一メートルで基点3から一・四五メートルの地点。検証調書添付写真7ないし9。>を指摘しており、前記拡大写真によれば、ほぼ右指摘の地点に同車両が転倒している状況が窺われるので、若干問題が残る。しかし、被告人は、第二一回公判において、被害者を移動させたあと、自転車も道路の端に平行移動した旨明確に供述しており、このような点につき、被告人がことさら事実に反する供述をするとは考え難いから、右C証言及び拡大写真から窺われる状況は、被告人による右移動後の状況であると考える余地があり、右は、いずれにしても、被害車両の転倒位置に関する前記認定の防げとなるものではない。)そして、右認定にかかる被害車両の転倒位置自体は、江守鑑定の前提とする同車両の転倒位置とも矛盾・抵触していない。

3  被害車両の転倒の向きの検討

ところで、被害車両の向きにつき、被告人は、第七回及び第二一回公判において、被告人車両の進行方向と同じ向きであった旨供述している。もっとも、事故直後の自転車に関する被告人の供述については、被告人がこれを移動させたか否かの点につき若干の変遷もあること、及び、被害車両から外れた前輪のあった位置に関する供述(車両を停車させて後部にまわったときに、被告人車両のすぐ後ろの横断歩道中央部付近にあったとするもの)が、「タイヤの一つが取れて、コロコロとブロック塀の方に転がっていった。」とするD証言と符合しないことなどの点でその信用性に若干の問題がないわけではない。しかし、被害車両の向きに関する被告人の供述は、この点に関する唯一の直接証拠であって、これと直接抵触する証拠は全くないこと、大型車両の運転中左折事故を惹起した被告人としては、気が動転しながらも、事故に関する後日の責任追及に備えて現場の状況を正確に記憶しようと努めたはずであり、これが記憶ちがいに基づく供述とは考え難いこと、しかも、右供述は、江守鑑定が提出される以前からの一貫したものであって、ことさらに記憶に反する供述をしていることを疑わせる事情は、これを見出し難いことなどの諸点に照らし、結局、その信用性を肯定すべきものと考えられる。

4  問題点(4)に関する結論

江守証言によると、同鑑定の想定した事故態様を前提とする限り、被害車両は、被告人車両の進行方向と逆を向いて転倒していなければならず、同車両の進行方法と同じ方向を向いて転倒するようなことはおよそあり得ないとされているのであって(速記録三六丁)、もし、事故直後における被害車両の転倒方向が右被告人の供述のとおりであったとすれば、同鑑定の想定する事故態様が根底から覆えることとならざるを得ない。従って、右の点も、同鑑定の信用性を減殺する重要な事情の一つであると考えられる。

六  江守鑑定の問題点(5)-二度の反転について

1  江守鑑定の推論

江守鑑定は、前述のように、<1>被害車両が、最後に左を下にして被告人車両左後前輪に轢過されたこと、<2>変形して右側に位置することとなった左側フロントフォークの付け根付近にアスファルトや白いペンキ(横断歩道のものと思われる)が付着しており、このことは左側が下になる前に右側が下になったことを示していることを根拠に、被害車両は被告人車両の下で二度反転したと推論し、その過程を、被害車両が被告人車両底部に引っかけられ引きずられた際、摩擦係数の大きい被害者により運動が妨げられたことによると説明している。

2  右推論に対する疑問点

確かに、被害車両の損傷状況を見ると、左を下にすると車体下側の大部分が地面に密着し、しかも車体上部には、その上をタイヤが通過したと考えれば容易に説明のつく凹形の変形が前後方向に生じており、このことからすると、被害車両が、最終的には左を下にして被告人車両のタイヤに轢過されたことは、ほぼ間違いないことと思われる。しかしながら、被害者と被害車両の摩擦係数のちがいを根拠に被害車両が二度反転したとする江守鑑定の推論の過程には、次のような疑問を容れる余地もある。すなわち、江守証言は、自転車の反転の過程を、「衝突により、自転車と子供(被害者)が左を下にして倒れた際、当初、子供の方が先方にあったが、自転車が被告人車両に引きずられて被害者を追う形になる。そして、自転車は、先方にある摩擦係数の大きい被害者に止められて子供をグッと押しつけ、それで子供が陥没骨折を負った」と説明するのであるが(速記録一七丁)、常識的に考えると、自転車が被害者に防げられて一度目の反転をした段階で、自転車がむしろ先行してしまい、その後更に被害者によって進行が妨げられることはないのではないかという疑問を払拭することができないのである。証人尋問について右の疑問を提示された江守は、暫時沈黙ののち、「一度反転した段階では、自転車が被害者の上に乗るぐらいであって、被害者より先にはいかないから、更にもう一回反転したんじゃないかと思う。」として、右疑問を解消しようとした(速記録四六丁)。しかし、一度目の反転により被害車両が被害者の身体の上に乗るような状況になったとしても、この場合には、同車両の前方にはその進行を妨げる物件が何ら存在しないことに変りはないわけであるから、被害車両と被害者の摩擦係数のちがいによって再度の反転が生ずるとはにわかに考え難いといわなければならない。従って、摩擦係数のちがいによって被害車両の反転が二度生ずることはないのではないかという前記疑問は、右江守証言によっても解消されていないというべきである(のみならず、被害者の身体をてこにして、被害車両が被告人車両の車体の下で二度も反転したとした場合に、被害者の身体の損傷が前記第二、八の程度に止まることがあり得るのか、また、そもそも、車高約〇・七メートルの被害車両がその車高よりも明らかに低い被告人車両底面との空間で<被告人車両のバンパー下面の高さは約〇・六メートル、エアクリーナーカバー底面までの高さは、約〇・五三メートルである。>、二度も反転することが物理的に可能なのかなどという疑問も残されている。もっとも、右後者の疑問につき、江守は、反転する際、被害車両は圧迫されて湾曲したと考えられるから十分反転は可能であるとしているが、かりに右証言を措信するにしても、そうであれば、被告人車両の底面や被害車両に、いま少し明白な擦過の痕跡が残って然るべきではないかという新たな疑問も生じてこよう。)。

七  江守鑑定の問題点(6)-路面の擦過痕について

1  江守鑑定の前提とする擦過痕の位置・形状

江守鑑定は、本件においては、路面の擦過痕に関する写真やこれを記録した実見が存在せず、関係者の供述も異なるところから、右各供述を「総合」した上、「擦過痕の全体の長さは二メートル程度で、実況見分時に認定された衝突地点より手前にあった」が、「その位置および長さには、不確定要素が含まれている。」と指摘する。証拠上肯認される擦過痕の位置・形状に関する同鑑定の記述は、右の限度に止まるので、同鑑定が、相互に矛盾する関係者の供述をどのように「総合」してどうような擦過痕を認定したのかは、必ずしも明らかではないが、同鑑定が、「轢過時における甲野車と自転車の運動を考慮し」て同鑑定書添付図1(本判決添付の別紙図面三<6>図と同一)に示した擦過痕は、被告人及びCの指示・供述するそれとは明らかに異なっている。もっとも、右図1の擦過痕は、警察官らの供述に現われたそれとも同一ではなく、いずれの証拠とも完全に符合しないが、どちらかといえば、警察官らの供述に現れたものに近いから、同鑑定は、前記のように矛盾・対立する関係者の供述のうち、被告人及びCの各供述はこれを排斥し、警察官らの供述によりこれを認定しながら、これにも不確定要素があることを重視し、自らの想定した事故によって生ずるはずの擦過痕の位置・形状が、証拠上肯認されるそれとはほぼ符合するとして、自己の鑑定の結論の正当性を主張しているものと解される。

2  路面の擦過痕に関する証拠の検討結果

本件において、路面の擦過痕の位置、形状等に関する客観的な証拠が存在せず、関係者の供述も相互に矛盾していることは、江守鑑定の指摘するとおりであるところ、のちに詳しく検討するとおり、当裁判所は、右の点に関する警察官らの証言の信用性には疑問があり、被告人及びCの供述を前提としてこれを認定せざるを得ないと考えるものである。

3  問題点(6)に関する結論

従って、これと異なり、被告人及びCの各供述を排斥し、警察官らの証言にほぼ全面的に依拠して、右擦過痕の位置・形状を認定し、これが自己の想定する事故態様とほぼ符合するとした江守鑑定は、その信用性に疑問が残ると考えざるを得ない(路面擦過痕の位置・形状に関する当裁判所の認定が正しいとすると、江守鑑定の想定する事故態様は、根底から覆えることとなろう。)。

八  江守鑑定の問題点の総括

江守鑑定は、<1>瞬間的事象に関する当事者や目撃者の証言は極めて信憑性に乏しいとして、これを事故解析の前提条件から排除する一方、<2>時間をかけてゆっくり観察し得る事象、例えば車両の停止位置や乗員の転倒位置に関する供述は、客観性があるので、解析の条件に使用し得るとし(ただし、これを絶対のものとして推論することは危険であるとする。)、<3>最終的には、考えられる多くの事故態様の中から、物的証拠及び力学的自然法則を説明し得ないものを順次消去していくという方法で、事故態様を推論するという基本的な手法に基づくものであるとされており(鑑定書一四頁ないし一五頁)、右のような手法は、できる限り客観的資料を基に事故の状況を再現・想定しようとする科学者の態度として、十分首肯され得るものである。

しかし、同鑑定は、右手法を本件に適用するにあたり、次のような重大な誤りを冒したといわなければならない。

その第一は、同鑑定の重視する物的証拠の評価に関する。すでに詳述したとおり、同鑑定が被告人車両の衝突部位を左前部と特定した最大の論拠は、エアクリーナーカバーの痕跡に始まる同車両底部の一連の痕跡であるが、右各痕跡のうち前者は本件事故によるものとは認められず、後者も事故との関係が明らかでないものであった。物的証拠、ことに車体に残された痕跡を基に事故状況を推論しようとする場合には、右推論の基礎とされる痕跡が事故と関係のあるものであるかどうかがとりわけ慎重に検討されるべきことは当然であって、もし右の段階において、推論の基礎とする痕跡の評価・選択を誤るときは、その後の推論がいかに精緻な理論に基づき行われたとしても、その推論の結果は、真実の事故の状況とは大きく隔たったものとなってしまう。しかるに、江守鑑定は、被告人車両の底部に存する一連の痕跡は、それが事故と無関係のものであると積極的に立証されない限りは事故と無関係であるとはいえないという、刑事裁判の世界では到底受け容れ難い見解のもとに、前記一連の痕跡をすべて本件事故によるものであるとの誤った前提に立って、その推論を行っているのであって、右の点は、同鑑定の致命的ともいえる問題点であるといわなければならない。

その第二は、同鑑定のとった供述証拠の評価方法に関する。前述のとおり、本件においては、路面の擦過痕や血痕等の位置・形状をはじめ、被害者及び被害車両の転倒位置・方向など、多くの同種事件においては証拠により容易に確定し得る基本的事実関係が、実況見分調書や写真等の客観的証拠により明らかにされておらず、いきおい、その確定を関係者の供述に頼らざるを得なかったが、これらの点についての関係者の供述は相互に矛盾し、そのいずれを措信すべきかについて困難な問題があった。ところが、同鑑定は、自らの想定した事故態様の証拠との整合性を検討するにあたり、右のように対立する供述中信用性に疑問のある警察官らの供述に依拠し、信用性を否定し難いと思われる被告人やCの供述を切り捨てるという誤りを冒してしまい、そのため、同鑑定の想定する事故態様は、証拠を正しく評価した場合に認定し得る路面の擦過痕の位置・形状、被害者及び被害車両の転倒位置・方向等と符合しないものとなってしまったのであって、この点も、同鑑定の証明力の評価上看過し難い問題であるといわなければならない。

その第三は、同鑑定の推論の過程自体に関する。すでに説示したように、同鑑定の想定する事故態様は、被害者の頭部陥没骨折の位置及びその生成機序に関する医学的見解と抵触する疑いが強く、また、被害車両が被害者の身体に妨げられて二度反転したという推論の根拠にも、力学的にみて重大な疑問が存するのであって、これらの点は、江守鑑定全体の信用性を強く疑わせる結果となっている。

以上のとおりであって、江守鑑定中本件事故態様を推論する部分は、その信用性に重大な疑問があるといわなければならない。

第六  路面擦過痕の位置との関係について

一  緒説

路面擦過痕の位置については、江守鑑定の問題点(6)に当裁判所の結論のみを示しておいたが、右擦過痕が、当裁判所の認定するとおりの位置にあったとすると、そのこと自体が、被告人車両の衝突部位を「左前部」であると認めることの積極的な障害になると考えられる。その意味で、路面擦過痕の位置の問題は、単に江守鑑定の信用性を疑わせる一間接事実たるに止まらず、被告人車両の衝突部位が左後方であったことを窺わせる有力な証拠であるといわざるを得ないので、以下においては、右擦過痕の位置に関する問題につき、やや立ち入った指摘をしておくこととする。

二  路面擦過痕の位置等に関する証拠の概要

1  実況見分調書等

本件においては、初動捜査にあたった警察官の不手際のため、この種事件の捜査の出発点となるべき路面擦過痕の位置・形状につき、実況見分調書上何らの記載がなく、また、これに関する写真も存在しない。このことは、さきに一言したとおりである。もっとも、現行犯人逮捕手続書には、現場には、「子供用自転車が大破して転倒し、その付近には路面に約三メートルの擦過痕が印象され」ていた旨の記載があるが、これのみによって、その正確な位置はもちろん、被害車両との相対的な位置関係すら知ることができない。

2  八木田警察官の証言

八木田警察官は、本件事故当日(五月一三日)の実況見分を実施し、同日付け実況見分調書を作成した者である。同人の第二回公判における証言(以下、「八木田証言その1」という。)中擦過痕の位置・形状に関する部分の要旨は、「ぼんやりとしか記憶がないが、五・一三実見添付図面(本判決添付別紙図面一)の<×>地点と<2>地点を結んだ線上の横断歩道上で、<イ>地点(被害車両の転倒位置)と<2>地点を結ぶ線の中間あたりに、約二メートルの擦過痕があった。」というものであったが、同人が法廷でその位置を記入した速記録添付図面には、<×>地点と<2>地点の線上で<イ>地点のほぼ北側から<2>地点にかけて、擦過痕の記載がなされている(その状況は、ほぼ、本判決書添付別紙図面三の<1>図のとおりである。)。従って、同証言にいう「<イ>地点と<2>地点を結ぶ線の中間あたり」とは、厳密には、右図面に記載された位置をいうと解すべきであろう。ところが、同人は、その後当裁判所の検証(なお、右検証は、第七回公判と第八回公判の中間である昭和六一年六月二〇日に行われた。)の際、本件事故現場において証人として擦過痕の位置を示すよう求められるや、「基点2から二・三五メートル、基点3から二・八メートルの地点を中心として、長さ約二メートル、幅約三〇センチメートルの範囲内に、長さ約三〇センチメートルの線になって重なるように断続して、二、三本横にのびていた。」旨証言した(以下、これを「八木田証言その2」という。)。右証言に現われた擦過痕の位置を図示してみると、ほぼ別紙図面三の<3>図のようになると思われるが、右擦過痕の位置は、被害車両の転倒位置から交差点出口方向(被告人車両の進行方向)にかけて印象されていたとする点で前記証言その1とは明らかに異なるものであり、第四回公判における後記米沢証言とほぼ符合するといえる。

3  米沢警察官の証言

米沢警察官は、本件事故当日の実況見分の際、八木田の補助者としてこれに立ち会った者である。米沢警察官は、前記八木田証言その1がなされたのちである第四回公判において、「五・一三実見添付図面(本判決添付別紙図面一)の<×>地点より二、三〇センチメートル北東寄りの地点から<イ>地点にかけて、約二メートルの擦過痕があった。」旨供述しており、右証言の際同人が記入した速記録添付の図面によれば、その位置は、右<×>地点と<1>地点をつなぐ線として表わされている(その状況は、ほぼ別紙図面三の<2>図のとおりである。)。右米沢証言は、擦過痕が、<イ>地点から交差点出口方向(被告人車両の進行方向)にかけて印象されていたとする点で、八木田証言その2と同様、同その1とは著しく趣旨を異にしている。

4  Cの証言

Cは、被告人の雇主で、事故直後電話連絡により現場へかけつけた者である。第六回公判における同人の擦過痕に関する証言の要旨は、「三本並人でいるポールのまん中のものから、横断歩道寄り約一メートルの位置に、三、四個の傷が、長さ約一メートル、幅約五〇センチメートルの間に点在していた。傷のうち一番大きなものは直径一〇センチメートルで、点在する傷を結んでも直線にはならない。」というのであり、また、同人の検証時の証言は、「基点2から二・二メートル、同1から四・九メートルの地点に、長さ二メートル、幅七〇センチメートル位の範囲内に四、五本の線のようになってついていた」というものであって、右各証言に現われた擦過痕の長さ、形状は、必ずしも一致しないが、擦過痕の位置自体は前後一貫している。右各証言に現われた擦過痕の位置を、速記録添付の図面及び検証調書添付の図面をもとに再現してみると、ほぼ別紙図面三の<4>図のようになると思われる。

5  被告人の供述

第七回公判における被告人の供述及び検証時における被告人の指示説明中各擦過痕に関する部分は、いずれも、被害車両の転倒地点(本判決添付別紙図面一の<イ>地点)から交差点内側(被告人車両の進行方向の逆方向)にかけて擦過痕が印象されていたとする点で前後一貫し、これを図示すると、ほぼ別紙図面三の<5>図のようになると思われる。

三  各供述の検討

1  このように、擦過痕の位置に関する関係者の供述は相互に矛盾しているが、これを大別すると、(1)被害車両の転倒位置(別紙図面一の<イ>地点)から交差点出口方向(被告人車両の進行方向)にかけてついていたとする米沢証言及び八木田証言その2と、(2)右<イ>地点から交差点内側方向(被告人車両の進行方向と逆方向)にかけてついていたとするC証言及び被告人供述に大別され、八木田証言その1は、(1)よりもむしろ(2)に近いと考えられる。

2  ところで、記録によると検察官は、米沢証言ののち、八木田が実況見分時の原図を見て自己の第一回証言の誤りを発見したので右証言の訂正をさせたいとして、執ように同人の再尋問を求めたが、更新前の裁判所により、その都度却下されたという経緯の存することが明らかである。なお、八木田が見て記憶喚起の資料としたという原図と思われる図面の取調べ請求も、更新前の裁判所により、やはり却下されている。

3  警察官も生身の人間であるから、記憶の定かでない事項に関し誤った証言をしたのちに、資料を見て正しい記憶を喚起するという事態も、あり得ないことではないと思われる。そして、現に、八木田証言その1は、「確たる記憶がない」という留保付きでなされたものであること、他方、米沢も「八木田に聞かないと分からないが、実際に検尺した資料があるはずである。」旨証言していること(米沢証言四七丁)などの点からすると、八木田証言その1が単純な記憶ちがいであったとする検察官の主張を誤りであると断定することはできない。しかしながら、もし検察官の主張のとおりであるとすると、八木田は、交通事故の捜査の衝にあたる警察官として、事故現場の実況見分を行い、いかなる理由によるかは明らかでないが、路面の擦過痕の位置の記載のない不備な実見を作成したのち、右実見の作成の真正等の立証のため証人として出廷を求められた際、実見作成の前提とされた原図が存在するにもかかわらず、これによる記憶の喚起もしないで出廷したということにならざるを得ないが、このような行動は、交通事件の捜査をその職務とする専門家のそれとして、常識上にわかに想定し難いことといわなければならない。また、米沢証言によれば、米沢自身は擦過痕に関するメモをとっていなかったと認められるので(同証言調書二九丁)、もし原図があったとすれば、八木田自身が作成したものと考えるほかはないところ、検察官による同人の証言の訂正申出が、同人の証言その1の直後にではなく、米沢証言がなされたのちになってなされている点からみると、八木田は、擦過痕の位置につき公判廷で証言したのちにおいても、自己の作成した原図により証言の正誤を検討することもせず、米沢証言がなされるまではその誤りに気付かなかったということになり、ますます不自然である。このようにみてくると、かりに同人を証人として再度尋問した結果、同人が記憶喚起の経緯につき検察官の主張するような事情を証言したとしても、右証言を全面的に措信するわけにはいかないと思われるのであって、検察官による同人の再尋問の申請を却下した更新前の裁判所の措置は、優に首肯されるところであり、従ってまた、八木田証言その1を単純な記憶ちがいであるとしてその証拠価値を軽視することは許されない。

4  ところで、擦過痕が、被害車両の転倒位置から交差点出口方向(被告人車両の進行方向)にかけて印象されていたという米沢証言及び八木田証言その2を前提とすると、被害車両は、被告人車両に引きずられて路面に擦過痕を印象したにもかかわらず、依然として擦過痕の起点から全く動かなかったことになって明らかに不合理である。右の点につき、米沢らは、衝突地点を擦過痕の終点付近と想定し、被害車両は、進行する被告人車両により後方へベルトコンベアーのように送り出されたものであると考えたもののようであるが(八木田証言その1一五丁、一六丁、米沢証言九丁、二八丁各参照)、路上に転倒した自転車がその上を通過する車両の底部に引きずられた場合、自転車は車両の進行方向へ移動するはずであり、これが進行方向へ逆行して後方へ送り出されることは、力学的にあり得ないことである。従って、米沢証言及び八木田証言その2中擦過痕の位置に関する部分は、いずれにしても、証拠上明らかな被害車両の転倒位置との関係で、著しく不合理であるといわなければならない。

5  最後に、八木田証言その1は、被害車両の転倒位置との関係では、米沢証言及び八木田証言その2ほど重大な不合理を包蔵していない上、公判の初期の段階において、擦過痕の位置が被告人の形跡の判断に与える影響を意識しないまま、率直になされたとみられることなどの点からみて、同証言その2と比べると信用性が高いと考えられる。しかし、同証言その1中擦過痕の位置に関する部分は、確実な記憶に基づくものでないことを証人自身が認めているのであるから、同証言のみによって、擦過痕の正確な位置を認定するのが相当でないことも、また明らかなところと考えられる。

6  これに対し、被告人及びCの擦過痕の位置に関する各供述は、相互に符合し、しかも、終始ほぼ一貫していると認められるのであって、その証拠価値を軽視することは許されないというべきである。

四  路面擦過痕の位置に関する当裁判所の認定

以上の理由により、当裁判所としては、路面擦過痕の位置は、被告人及びCの各供述にあるとおり、本件交差点の出口(富士見市水子方面)横断歩道の北東端で、右横断歩道と入口(朝霞市上内間木方面)横断歩道とが交差する角に極めて近い位置(別紙図面三の<4>図、<5>図参照)であったと認定せざるを得ないと考える。

五  右認定を前提とした検討

1  被害車両が被告人車両と衝突して路面に転倒し同車両の底部に引きずられて路面に擦過痕を印象した場合についていえば、擦過痕が被害車両の転倒地点から始まるのは当然であるが、衝突の際に同車両が大きくはね飛ばされるなどの事情の認められない限り、被害車両は衝突地点のすぐそばに転倒したものとみてよく、従って、被害車両の転倒位置は、衝突地点とほぼ一致すると考えてよい。本件においては、被告人車両が極めて低速であったことなどからみて、被害車両が衝突により大きくはね飛ばされたなどとは考え難いから、前記二認定の擦過痕の始点は、ほぼ両車両の衝突地点を示すと考えられる。

2  ところで、被告人車両は前記のとおり、ホイールベースが四・四五メートルもある大型貨物自動車で、江守鑑定書一〇、一一頁及び同鑑定書添付の図3によれば、最大内輪差は約一・六メートルにものぼることが認められる。そして、本件交差点においては、道路が約七〇度の鋭角で交差している上、左折方向の県道の幅員が約六・三メートルと狭いため、大型車両を運転中の被告人は、安全に左折を完了させるべく、時速約五キロメートルの低速で曲進性能の限界近くまでハンドルを切ったと考えられるのである。従って、前記認定の擦過痕の起点付近を車体前部が通過してその左前部が被害車両に衝突したとすれば、左後輪は前輪より一・六メートル近くも内側軌道を通ることとなるので、左折が進行していく過程で、車体後部が交差点南角の電柱やブロック塀等に接触してしまう可能性が高いと考えられることは、弁護人が指摘するとおりであると認められる。

しかし、本件において被告人車両左後部が電柱等に何ら接触していないことは関係証拠上明らかであって、このことは、被告人車両の衝突部位が左前部であったとする前提自体が誤りであることを強く示唆する事情であるといわなければならない。

3  事故直後の実況見分に従事した前記八木田、米沢らは、自らが現認したという擦過痕の位置を前提とした場合でも、被告人車両の左前部が右擦過痕の起点の位置で被害車両と衝突したと考えた場合には、車体後部が交差点南角のブロック塀等に接触してしまう可能性が大きく不合理であるとして、むしろ、衝突地点は擦過痕の終点付近又はこれより更に交差点出口に近い方であると想定していたことが、各証言及び五・一三実見添付現場見取図の<×>地点の記載により明らかである(八木田証言その1二五丁、米沢証言四四丁各参照)。八木田らの右想定は、被害車両が、被告人車両に引きずられながら、逆に、被告人車両の進行方向と逆の方向へ送り出されるという誤った認識に基づくものではあるが、いやしくも、交通事故の捜査に従事する警察官らが、自らの現認したという擦過痕の起点付近で被告人車両の左前部が被害車両と衝突したとすることは、被告人車両の内輪差の関係で不合理であると考えていたことは、これを軽視することができない。

4  しかも、証拠により認定すべき擦過痕の位置は、米沢証言及び八木田証言その2に現れたそれと比べればもちろん、八木田証言その1に現れたそれと比べても更に交差点の南角に近い地点である。擦過痕の位置に関する右のような認定を前提としながら、右擦過痕の起点付近を、曲進性能の限度一杯で左折進行する被告人車両の左前部が通過したと仮定すれば、同車両の左後部が路外の障害物と接触してしまうことは、右警察官らの証言を待つまでもなく明らかであると認められるのである。被告人車両が、路外の障害物との接触事故を惹起することなく左折を完了している本件において、右擦過痕の位置を合理的に説明しようとすれば、被告人車両の衝突部位に関する前記前提を崩し、これを左後部であったとする以外に方法はないといわなければならない。

第七  被告人車両の衝突部位に関する結論及び過失の存否について

以上詳細に説示したとおり、本件においては、被告人車両の衝突部位が左前部であることの根拠として検察官により援用された、<1>被告人車両の痕跡及び<2>江守鑑定は、いずれも右衝突部位に関する検察官の主張を肯認させる的確な証拠であるとは認められず、かえって<3>路面の擦過痕等のように、衝突部位を左前部であると認定することの重大な支障となり、逆に、これを左後部であるとする被告人の供述の裏付けとなる事実関係も認められるのであるから、本件公訴事実中、被告人が、同車両の「左前部」を被害車両に衝突させたとの点についてはこれを認定すべき証拠がなく、その衝突部位は左後部であったと認めるほかはない。そうすると、本件公訴事実については、被告人が本件交差点を左折進行中、自車の「左前部」を被害車両に衝突させたとする点においてその証明がないばかりでなく、前記のとおり衝突部位を左後部であると認定する以上、被告人に後方確認義務違反の過失が存したともいえず、いずれにしても、その証明がないことに帰着する。

なお、検察官は、論告中において、被告人に左後方確認義務の過失があったとする主張の論拠として、左折事故に関する多くの裁判例を援用しているが、右検察官の主張も、被告人車両の衝突部位が「左前部」であることを前提としていると解されることは、前記第三、一において一言したとおりであって、従前の訴訟の経緯等に照らすと、検察官自身も、衝突部位が「左前部」でなく、「左後部」であるとされた場合についてまで被告人の過失の存在を主張する趣旨ではないと解される(当然のことながら、検察官が論告中で援用する裁判例は、いずれも衝突部位が左前部である事案に関するものであって、左後部を衝突させた事案に関し、左折車両の運転者の過失を肯定した裁判例は見当らない。)。

第八  結論

以上のとおりであって、本件公訴事実については、被告人車両の衝突部位が左前部であったこと及び右衝突が被告人の過失によって惹起されたことの二点に関しその証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木谷 明 裁判官 木村博貴 裁判官 水野智幸)

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